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西落合のジークフリート
2024/10/24(木)12:27
もも
松平容保公の回、見ました。
会津戦争の直前、新政府軍が降伏を求めたが容保が断った、という部分が気になりました。
戦争前、恭順の姿勢を示しても、条件を緩和することなく突っぱねたのは新政府側ですし、籠城戦末期には降伏する旨の書状が握り潰されていたという長州兵の証言もあります。
一時間の番組で詳細を語るのは難しいでしょうが、「呑めない降伏条件を突き付けれた為」とか「恭順の姿勢は見せたが、受け入れられず」などの言葉を入れて欲しかったです。会津藩の希望で戦争に突入した印象を受けました。ちょっと悲しいです。
2024/10/20(日)17:33
七壬
番組で扱われる資料が豊富で見ていて「へぇ~」となることも多く、とても面白いです!!!
吉田松陰の回をきっかけに世田谷の松陰神社にも行ってきました。想像を絶する迫力と楽しさでしたよ。より一層吉田松陰を好きになりました。
幕末以外は苦手な中学生ですが、これからも放送を見て学びます。楽しみにしています!
2024/10/19(土)17:44
じゆうにん
近衛前久、徳川秀忠の敗北、思いつかない事象が敗北でした。候補に挙がっていると思いますが、幕末島津斉彬の敗北、何れの事象とするかが楽しみです。
2024/10/13(日)10:15
歴史好き
毎回楽しく拝見しています。
伊東先生の著書のファンでもあります。
リクエストなのですが、伊東先生の著書でも取り上げられています上杉三郎景虎を題材に放送して頂けないでしょうか。
宜しくお願い致します。
2024/10/12(土)19:08
とらじろう
吉田松陰の放送回はとてもよかった。
いつかミッドウエイ海戦を採り上げてほしいです。
それと、見逃した武田勝頼の再放送をお願いします。
最近、伊藤潤さんの作品を読み始めています
2024/10/06(日)11:01
しょうちゃん
片桐且元の回、大変勉強になりました。
人はそれぞれの、価値観が違い、それぞれの人は、最後は自分の生き方に
納得されたのではないかと思っています。
淀君は、淀君で、且元は且元なりに、大切にしていたものが違ったのだと思います。
最後に、且元が豊臣家から離れて、徳川についた事、初めて知りました。
なるほど、片桐家を残す事も、当然大切と、現代に通じる事と思い、だめな上司とは、どこかで、離れたほうが良いという事だと思います。
早速、片桐且元の本を注文しました。
次回以降も楽しみにしています。
2024/09/24(火)05:43
いわ
楽しく拝見させて頂いております。
私の中では、大坂の陣の英雄は毛利勝永ではないか?と考えております。
すでに放送したのかもしれませんが、もしまだならば、掘り下げて教えて頂ければ幸いです
m(_ _)m
2024/09/22(日)15:11
アート
こんにちは
毎回面白く、ためになるお話ありがとうございます。
敗者からの視点は本当に興味深いです。
失礼ながら番組へのリクエストで「三好長慶」を取り上げていただけると嬉しいです。
松永久秀やこぼれ話で足利義輝が取り上げられていますが、どちらにも関係の深い長慶のお話を是非聞きたいです。
また、長慶の後継・三好義継についても本編もしくはマイナーシリーズで取り上げていただければ幸いです。
今後も楽しい番組を期待しております。
2024/09/22(日)09:05
ちゃちゃ
こんにちは。伊東先生に質問です。
江戸時代の武士の仕事についてです。幕府直参の旗本や御家人などの武士は、江戸時代後期などは人数のわりに仕事が少なくみんなけっこうひまそうなイメージがあります。ワークシェアリング的な。なのに、たとえば町奉行所などは人員が超少なくて多忙と聞きます。もっと人をうまく配置させたりできなかったのでしょうか。その辺を詳しく知りたいです。よろしくお願いします。
2024/08/13(火)16:42
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いつも番組を欠かさず楽しく拝見させて頂き誠に有難うございます。伊東潤先生と、司会の中西悠理さんお二人の「和装」のお姿が特に素晴らしく、いつ拝見させて頂いても、思わずこちらが心が洗われる思いです。番組の中で特に私が「感銘」を受けましたのは、「福島正則」と「片桐且元」の回です。共にあの有名な「賤ヶ岳の七本槍」で、「天下」にその武名を馳せた二人ですが、秀吉亡き後、何とか豊臣家と徳川家との関係を「良好」なものとすべく、文字通り「粉骨砕身」「東奔西走」したにもかかわらず、「豊臣家滅亡」という最悪のシナリオを防ぐことは出来なかったことは、感慨深いものがありました。歴史に「イフ=If」「もしも」はありませんが、「豊臣家安泰」「家名存続」のためには、やはり、秀頼・淀君親子が、「大阪城を退去」して、徳川に忠誠を示せば、何とか滅亡せずに済んだのではないかと、かえすがえすも残念でなりませんでした。