番組情報
『日本人に最高の絵をみせてやりたい』
大正時代、壮大な夢を持ち、そのロマンに人生かけた一人の日本人がいた。
世界文化遺産「国立西洋美術館」の誕生秘話に迫る!


その男の名は実業家・松方幸次郎。
彼は莫大な資金をかけロンドン・パリなどで多くの名画や彫刻を収集した。
その数は1万点を超えるとも言われている。
しかし時代は無情にも金融恐慌に続く第二次大戦の戦火に見舞われ、これらの
名画も大きな渦に翻弄される。
名画をパリから疎開させ、ナチスの略奪から命を懸けて守り通した男たち・・・
終戦後、敵国人財産とされた名画の寄贈返還を実現させた外交官たち・・・
この番組は、数奇な運命をたどった名画の軌跡と男たちの情熱を追いながら、
巨匠ル・コルビュジエ建築で世界文化遺産である「国立西洋美術館」の誕生秘話に迫ります。
- モネを口説いた男「松方幸次郎」とは?
- 戦火によって疎開した2つの名画の明暗
- 日本とフランス、国を巻き込んだ決死の返還交渉
- この男がいなかったら・・・
名画を守った男たちの生きざまとは? - 相次ぐ名画発見?松方コレクションの現在
- 受け継がれる「松方のロマン」
年表
松方幸次郎&松方コレクションヒストリー
- 1866年1月(慶応元年12月)
- 松方幸次郎 誕生
19世紀末
「ジャポニスム」ブーム
が起こる薩摩藩士で内閣総理大臣も務めた松方正義の三男として誕生。ラトガース大学やイェール大学で学んだ後、
30歳で川崎造船所の社長に就任。 - 1896年(明治29年)
- 川崎造船所の社長に就任
造船業で大いに手腕を発揮した。
第一次世界大戦の最中、軍事特需によって
現在の価格で500億円を超える財産を築いたと言われる。 - 1914年〜1918年
- 第一次世界大戦
- 1916年(大正5年)
- ロンドンでフランク・ブラングィンを知り、絵を買う
以降、たびたびヨーロッパを訪れ美術品を買い集める松方はロンドン・パリなどで精力的に名画・彫刻を取集した。最終的にはその数は1万点を超えるとも言われる。
ピエール=オーギュスト・ルノワール
《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館 松方コレクションピエール=オーギュスト・ルノワール
《帽子の女》1891年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館 松方コレクションオーギュスト・ロダン
《考える人(拡大作)》1881-82年(原型)、1902-03年(拡大)、
1926年(鋳造) ブロンズ
国立西洋美術館 松方コレクションフランク・ブラングィン
《松方幸次郎の肖像》1916年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館 旧松方コレクション - 1918年(大正7年)
- パリでアンリ・ヴェヴェールから
浮世絵8千余点を10万ポンド(現20億円)で買う - 1919年(大正8年)
- 幸次郎が購入した西洋絵画が日本に届き始める
ブラングィンから「共楽美術館」の設計図が届くフランク・ブラングィン
《共楽美術館構想俯瞰図、東京》水彩、鉛筆、紙
国立西洋美術館 - 1921年(大正10年)
- モネのアトリエへ
クロード・モネ 《睡蓮》
1916年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館 松方コレクション松方が頻繁にモネのアトリエを訪れ、直接モネに熱い気持ちを伝えた。 気難しい画家モネであったが、次第に松方の情熱に心を開いて行った。この画は購入したモネの絵の中でも代表作のひとつである。
- 1923年(大正12年)
- 関東大震災のため「共楽美術館」建設計画中断
- 1924年(大正13年)
- 「贅沢品関税法」で従価10割となり、美術品を日本へ送ることが困難に
- 1927年(昭和2年)
- パリにいる秘書の日置釭三郎に美術品管理を任せ、幸次郎帰国
金融恐慌により十五銀行が破綻、それとともに川崎造船所も経営破綻、
美術品は銀行融資の担保になる - 1928年(昭和3年)
- 川崎造船所の社長を辞任
- 1939年〜1945年
- 第二次世界大戦
- 1939年(昭和14年)
- ロンドンの倉庫が全焼。約950点のコレクションが焼失
- 1940年(昭和15年)
- 日置釭三郎、佐々木六郎とともにロダン美術館のコレクション
をアボンダンに移送
さらに避難のためマネとモネの絵4点を持ち出す松方コレクションの存続の陰には一人の日本人の「絵を守り抜く」強い意志と多くの苦難を乗り越えた勇気があった。
その男の名前は日置釭三郎、川崎造船所の嘱託技師兼秘書として松方に1916年頃から雇われパリにいた。松方からパリ・ロダン美術館で保管されていた絵画を託されていた。
第2次大戦の戦況が激しくなり、パリの美術館からコレクションを安全な場所に避難させるよう申し入れがあり、日置はパリ郊外の小さな農村アボンダンに300点を超える作品を移した。そして、その後のナチスの侵攻からひたすらに絵画を隠し通した。
日本からの送金が途絶え、貧困の中での生活は相当、厳しい環境であった。
松方からは「生活に困った時は絵を売っても良い」と言われおり、苦心の末、数点の絵画を売り生活費に充てたと言われている。
日置は1954年日本での美術館の誕生を見ることなく、ひっそりと亡くなった。エドゥアール・マネ
《嵐の海》1873年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館 旧松方コレクション2019年に国立西洋美術館にやってきた作品である。実はこれも松方コレクションで、日置がやむを得ずに売った作品とされる。
荒れ狂う大海原に漂う 帆掛け船は、あたかも松方コレクションの苦難の将来を想像される。 - 1944年(昭和19年)
- ドイツ敗戦後、コレクションは敵国財産として
フランス政府の管理下に - 1945年(昭和20年)
- フランス政府、作品リストを作成
- 1950年(昭和25年)
- 幸次郎、84歳で亡くなる
- 1951年(昭和26年)
- サンフランシスコ講和会議で吉田茂がフランス側に
作品返還の申し入れを行なう - 1958年(昭和33年)
- 松方コレクション375点が寄贈という形で日本に返還される
- 1959年(昭和34年)
- 国立西洋美術館 開館
- 2014年(平成26年)
- マネ「嵐の海」 ザルツブルクの住居で発見され、
スイスのベルン美術館に遺贈 - 2016年(平成28年)
- 国立西洋美術館、世界遺産に登録
ルーブル美術館でモネ「睡蓮、柳の反映」が発見される
ルーブル美術館の死角となる場所に置かれ、2016年に発見された作品。現在、上半分が破損、失われてしまっている。完全な状態のこの絵は、今は白黒のネガだけでしか見ることができない。
クロード・モネ
《睡蓮、柳の反映》1916年 油彩、カンヴァス
国立西洋美術館
松方幸次郎氏御遺族より寄贈 旧松方コレクション一連の睡蓮シリーズの中でも 縦199.3×横424.4センチの大作。
柳の木々が睡蓮の池に映り込んでいる様を荒々しい筆使いで描いている。 - 2018年(平成30年)
- パリ・国立建築文化財メディアテークで
松方コレクションを撮影したガラス乾板が発見される - 2019年(令和元年)
- マネ「嵐の海」が松方旧蔵作品として国立西洋美術館の所蔵に
- 2021年(令和3年)
- 姫路市立美術館で所蔵している作品が、松方旧蔵のマティス作品と同一である可能性が非常に高いことが分かる
アンリ・マティス
《ニース郊外の風景》アンリ・マティス
《木陰の女》2021年8月所在が不明であった松方コレクションが新たに発見された。 アンリ・マティス作の「木陰の女」である。
当初「ニュース郊外の風景」のタイトルであり別物とされていたが、松方コレクションを撮影した「ガラスの乾板」と照合し判明した。現在は姫路市立美術館に所蔵されている。
『日本人に最高の絵をみせてやりたい』 松方の志は 今でも多くの人々に受け継がれている。
散逸する松方コレクションの運命はいかに...?!
放送は 3月21日火曜・祝日 よる7:03〜8:30
おたのしみに!
番組ナビゲータ本仮屋ユイカさん インタビュー

名画たちが一堂に会している番組セットの中央に立たせて頂けて、もう感無量でした。
収録を終えての感想をお願いいたします。
ホッとしました。ストーリーテラーはその物語の導き手になるので、きちんと全うしなければ、この素晴らしい映像やエピソードが伝わらないと思って、今その役目を無事終えられて大変嬉しいです。
松方幸次郎が、絵画をたくさん収集し、戦火で失いながら、必死の思いで手元に取り戻したりした、一連のエピソードをご存知でしたか?
恥ずかしながら知らなかったんです。だけどこの話をした時友人が「それ松方コレクションの話?」って言っていたので、あ、じゃあ日本人にとってすごく馴染みのあるコレクションなんだなっていうのは感じました。
普段絵を見たり、美術館に行かれたりしますか?
はい、絵はすごく好きです。だから今回は名画たちが一堂に会している番組セットの中央に立たせて頂けて、もう感無量でした。とてもうれしかったです。
番組出演依頼を受けてから、打ち合わせや国立西洋美術館の見学、そして本日の番組収録を通じて、一番印象に残ったエピソードはございますでしょうか。
(事前に呼んだ原田マハさんの『美しき愚か者たちのタブロー』という本に書かれた松方コレクションのフィクションが話題になっていて、そちらの影響を受けている部分もあるのですが)
日置さんが、日本人でお一人であの戦火の中もう大変苦しい状況で守り抜いた、それもこれも松方さんのお人柄と情熱あってこそっていう。今の私にその情熱とか大義を守るだけの胆力を、果たして持てるのだろうかと思うと、素晴らしいお二人のその働きぶりに一番感銘を受けました。
VTRの中では、松方家のご親族の皆様が出演してくださったのがすごくうれしくて印象に残っています。それまでは松方幸次郎さんを遠い存在に感じていたのですが、「あ、幸次郎おじちゃまは、、」という会話を聞けて、より身近に感じました。
レンブラントの『風車』をリビングに飾られていて、自然な形でコレクションと家族を大切になさっている姿を見て、もし今もご存命ならぜひお会いしたかったですし、魅力的な方だなと思いました。
私も表現者として、大袈裟に聞こえるかもしれないのですが、演じている時は息絶えても構わない、という覚悟を持ってカメラの前に立っているので、(身を投げ打ってまで絵画の収集にあたっていた)松方さんにすごくシンパシーを感じましたし、最後に松方さんのお言葉を朗読をさせていただき、尊敬する方のお言葉を皆様にお伝えできたのは本当に光栄で、幸せなお仕事だったと思います。
国立西洋美術館の印象はいかがですか。
先日、番組収録の前に館内を見せて頂いたんですけど、建造物として、人の心理を考え、かつ贅沢な造りをしていたのがとても印象的で、あの少しずつスロープを上がっていく、日常から絵の森へ入っていく、いわば浮遊感を感じられる入り口がとても好きです。
新たに増設された部分も、建築当初からの建物に違和感なく溶け込んでいて素敵でしたし、絵を本当に楽しめる素晴らしい空間だなと思いました。皆さまにはぜひ直接お越しいただき絵を楽しんで頂きたいなと思っています。
視聴者の方へメッセージをお願いします。
絵は予備知識がなくてもその当時の永遠を一瞬にして私たちに見せてくれるものですよね。でもその背景にあるエピソードや、そこにどんなドラマがあるのか知っている方がより親しみを持って、楽しんで絵を観ることができると思うので、この番組がそのきっかけになれたらとてもうれしいです。
絵を観ていると、この絵は長い旅を経て、今、この目の前にいるんだな、絵に足が付いているんじゃないだろうか、と錯覚してしまうような、奇跡をすごく感じるんです。
一堂に揃った絵を観られるチャンスはもしかしたら今だけかもしれませんし、皆さんがその絵の前にいること自体が奇跡なんだと思います。
絵もそうですし、一つ一つの出会いの先にどれだけのミステリーとこのヒストリーがあったのかということに対して、改めて思いを馳せることのできる番組だと思います。
春の上野はすごく素敵なので、ぜひこの『国立西洋美術館誕生秘話』をご覧いただき、国立西洋美術館に足を運んでみてください。