第68回  菅原道真・怨霊から神となった平安貴族

菅原道真 平安時代、怨霊として恐れられた後、神となった菅原道真の敗北から現代に通じる教訓を探る。845年、学者で中級貴族の菅原是善の子として生まれた道真は18歳で中国の歴史や文学を学ぶ文章生となり、26歳で役人の道へ。そして、33歳の若さで文章生を指導する文章博士となる。42歳の時には讃岐守として四国に渡り、地方の現状を目の当たりにしに、政治と行政改革の必要性を実感する。

4年の任期を終え、都に戻った道真は時の宇多天皇に重用され、側近中の側近として、遣唐使派遣の見直しなど、様々な進言を行う。宇多天皇の息子・醍醐天皇の代になっても、道真は政治の中枢で活躍し、55歳の時には国家の最高機関である太政官を統率する右大臣にまで上り詰める。ところが、2年後、道真は突如、解任され、九州の大宰府に流されてしまう。道真はなぜ、都を追われてしまったのか?

道真の死後、都は数々の悲劇に見舞われる。道真と共に政治を牽引した左大臣・藤原時平が急死、洪水や長雨、干ばつなどの災害が頻発、さらに醍醐天皇の息子と孫が他界。醍醐天皇は道真が怨霊となり、祟っていると恐れ、道真を右大臣の地位に戻し、正二位の位階を追贈した。しかし、その後、宮中の清涼殿に雷が落ち、公卿らが命を落とし、程なくして醍醐天皇が崩御してしまう。そして、遂に道真は神として祀られることになる。