第67回  紫式部・『源氏物語』誕生と宮中での苦悩

紫式部 『源氏物語』の著者として名高い紫式部の敗北から明日を生きるための教訓を探る。973年、下級貴族で詩人でもあった藤原為時の次女として生まれたとされる紫式部は20代半ばで親子ほど年の離れた貴族・藤原宣孝と結婚。翌年、娘が誕生し、ささやかな幸せを手に入れる。ところが、その後、宣孝が急死、紫式部はその悲しみを紛らわせるために筆を執る。日本の古典文学の最高峰と呼ばれる『源氏物語』の誕生である。

『源氏物語』の評判は時の権力者・藤原道長にも届き、紫式部は道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子の女房に抜擢され、宮仕えを始める。しかし、プライドが高く、人付き合い苦手な紫式部は周囲の環境に馴染めず、わずか数日で宮廷から逃げ出し、実家に引きこもってしまう。数ヵ月間に及んだ引きこもりは、彼女の人生に何をもたらしたのか?そして、男女の愛憎と権力闘争を描いた長大な物語は、いかにして紡がれていったのか?

紫式部の死から200年余りが経った頃に記された書物には、紫式部が偽り事を綴り、地獄に落とされたと記されている。なぜ、このような伝承が生まれたのか?また、『紫式部日記』には彰子の出産場面など公の記録が残されている一方、清少納言や同僚への批判など様々な私情も記されている。長らく、自分のためだけに書かれたものと考えられていたが、近年、新たな説が登場している。紫式部は誰のために日記を綴って残したのか?