第57回 清少納言・涙で綴った『枕草子』
日本初の随筆と言われる『枕草子』の著者・清少納言の敗北から明日を生きるための教訓を探る。966年、和歌の名手・清原元輔の娘として、平安京に生まれたとされる清少納言は漢文や和歌の知識を買われ、一条天皇の后・藤原定子に仕えると、やがて、宮廷サロンの中心人物に躍り出る。ところが、定子の父である関白・藤原道隆が急死、さらに定子の兄と弟が失脚すると、俄かに雲行きが怪しくなる。
新たに政治の主導権を握ったのは道隆の弟・藤原道長だった。同僚らに道長との関係を疑われた清少納言は宮廷を去って引きこもる。その後、定子の計らいで清少納言は宮廷に戻り、懸命に定子を支えるが、定子は一条天皇の後継者候補となる初の男子を出産した直後に急逝、清少納言は失意の中で宮廷を後にする。清少納言はなぜ、敬愛する定子を守りきることができなかったのか?そして『枕草子』に込められたメッセージとは?
定子の死後、清少納言はしばし憔悴していたが、やがて再び筆を執る。書きかけだった『枕草子』の続きを書き始めたのだ。そこには、清少納言が定子たちと共に作り上げた華やかな文化と営みが鮮明に描き出された。清少納言は見たこと、感じたことをありのままに綴る随筆という新たな分野を開拓、その手法は多くの文人に影響を与え、今日に引き継がれている。もし、清少納言が現代に生きていたら、どんな文章を綴っていたのか?