第51回 渋沢栄一・挫折だらけの実業界の父
「日本資本主義の父」と称えられ、新一万円札の肖像となった渋沢栄一の敗北から現代に通じる教訓を探る。武蔵国の農家に生まれた栄一の青年期は挫折、失敗の連続だった。倒幕を志すも未遂に終わり、一橋家に仕えるが、主君・慶喜が十五代将軍に就任したことで、意に反し、幕臣になってしまう。その後、ヨーロッパで経済の仕組みを学んだ栄一は明治新政府の役人となり、様々な改革に取り組むが、首脳陣と対立し、辞職する。
栄一は日本初の銀行をはじめ、ガスや電力、鉄道など、日本の近代化を推進する事業の礎を築くが、全てが順風満帆に行ったわけではない。中でも、洋紙を製造する抄紙会社を設立した際には予期せぬ困難に見舞われる。そもそも、栄一は国から紙幣の製造を依頼され、会社を創ったにもかかわらず、その後、約束を反故にされてしまったのだ。栄一はいかにして、その苦難を乗り越え、事業を成功に導いたのか?
日本の近代化、国家の繁栄を支えるべく、500近い企業や団体の設立、支援に関わった栄一。その根底には栄一特有の強い信念があった。道徳と経済は決して相反するものでなく、両立すべきものである。仁義道徳を重んじた栄一は、実業界のみならず、教育、福祉、外交など、幅広い社会貢献活動に尽力し、92歳の天寿を全うした。もし、栄一が実業家ではなく、政治家として明治政府に参加していたら、どんな展開になっていたのか?