第37回 上杉景勝・北の関ヶ原での撤退戦
「苦渋の決断を余儀なくされた撤退戦!」今回は軍神・上杉謙信の後継者、上杉景勝の敗北を紐解き、明日を生きるための教訓を探る。謙信の甥として生まれた景勝は、謙信の養子となったことで、戦乱の渦に巻き込まれていく。謙信没後、同じく謙信の養子だった上杉景虎との家督争いに勝利。その後、秀吉に臣従した景勝は豊臣政権の五大老の一人となり、会津120万石の大大名にのし上がった。
しかし、秀吉の死後、突如、暗雲が立ち込める。天下を狙う徳川家康に謀叛の疑いをかけられたのだ。これに真っ向から反論した景勝は東北の地で、徳川方に付く最上義光と激突する。いわゆる、北の関ヶ原である。序盤、上杉軍は戦を優位に進めるが、関ヶ原での西軍の敗戦を聞き、撤退。これにより、景勝は米沢30万石に減封されてしまう。景勝が撤退を決断した理由とは?
景勝が武人として最後の活躍を見せたのが大坂の陣。徳川方に付いた景勝は、独特の采配で豊臣方を総崩れに追い込む。それは、家康が激賞するほどのものだった!そして、豊臣家の滅亡から8年後、波乱に満ちたその生涯に静かに幕を降ろすのであった。