第14回 吉良上野介&徳川吉宗 実は領民に愛されていた殿様
吉良上野介と徳川吉宗。2人のゆかりの地を訪ね、知られざる素顔に迫る。
「このあいだの遺恨、覚えておるか」。元禄14年、江戸城松之廊下で起きた前代未聞の刃傷沙汰。吉良上野介を斬りつけた赤穂藩主浅野内匠頭はその日のうちに切腹。主君を失った大石内蔵助ら赤穂四十七士は元禄15年12月14日未明、吉良の首をとり主君の無念を晴らした。この事件は「忠臣蔵」として脚色、舞台化され300年以上が経った今も、美談として語り継がれている。しかし悪役の烙印を押された形とされている吉良上野介。なぜ、彼は斬られなければなかったのか。忠臣蔵を、吉良上野介の側から見ることで何かが見えてこないか?事件現場である江戸・・・そして吉良家ゆかりの地、三河(愛知県西尾市)を巡るうちさまざまな事実がみえてくる。三河で見つけた名門吉良家ルールの家系図、上野介を支えた妻の存在。また影の存在として浮かび上がる幕府。その幕府が犯行に係るかのような説も浮上。黒幕は一体誰なのか?
2人目は江戸幕府中興の祖として名高い徳川吉宗。
彼が将軍に就任する前、紀州藩主として数々の改革を執り行っていた。
なぜ彼は多くの改革を断行することが出来たのか?それは父であり二代藩主である徳川光貞の影響があった!吉宗が生まれ育った紀州を巡り、直筆の書状を発見。そこに書かれていた吉宗の真の姿とは?さらに世界遺産に指定された熊野古道や温泉地・南紀白浜など吉宗にゆかりの深い紀州の魅力も余すところなく伝える。