第23回 天才絵師・伊藤若冲 秘密の素顔
相国寺蔵
今回は、錦市場の青物問屋を23歳で継ぎ趣味としてひたすら「描きたいもの」を描き続け、相国寺に寄進した花鳥画『動植綵絵』の公開で51歳にして京都画壇に遅咲きのデビューを果たした天才絵師・伊藤若冲を特集する。
錦市場から歩いてすぐの宝蔵寺は若冲の生家・伊藤家の菩提寺。若冲の建てた伊藤家の墓がある。毎年2月8日の「伊藤若冲生誕会」の前後には『竹に雄鶏図』など寺宝となっている若冲の作品を公開している。37歳のとき相国寺の禅僧・大典と出会い親しくなった若冲は、禅の教えに強く惹かれ在家の出家者となった。40代のすべてを捧げて完成させた『動植綵絵』30幅を寄進し、その公開によって若冲は一躍、京都随一の人気絵師に。『動植綵絵』は若冲が寄進した『釈迦三尊像』3幅と共に相国寺で最も重要な法要「観音懺法会」が行われる際に方丈の間を飾るようになった。そして、左京区の信行寺。その本堂外陣には、伊藤若冲が最晩年に制作した幻の天井画『彩色花卉図』がある。計167の格子面に1種類ずつ描かれた花の絵は、200年以上非公開だったことから光や乾燥によるダメージを最低限にとどめ、生涯の最後に若冲が到達した画家としての境地を今に伝えている。京都の街に今も遺る「知られざる若冲」像に迫っていく。