第58回 傑作選『昌幸から信繁へ 真田家知謀の系譜』
今回のテーマは、「真田信繁(幸村)に受け継がれた真田家の知謀」
▼ひも解く歴史の謎
①昌幸はいかにして絶世の戦略家となったのか
②「犬伏の別れ」以前に真田家分裂は決まっていた!?
③大坂の陣につながる真田家の知謀とは
大坂の陣で真田丸を築き徳川家康を追い詰めた真田信繁(幸村)。彼の知謀は父・昌幸から受け継がれたものでした。戦国の世をしたたかに生き抜いた真田一族。そこには武田信玄に「両眼のごとき者」と評され、「表裏比興の者」とも言われる信繁の父・昌幸の天才的な戦術と処世術がありました。その戦略的能力は、どのようにして築き上げられたのでしょうか。
関ヶ原の戦いの前には、昌幸と次男・信繁が西軍に、長男・信幸が東軍に分かれます。これは「犬伏の別れ」として知られていますが、実際には「犬伏」以前に分裂が決まっていました。その真相は、大谷吉継が昌幸にあてた書状に。歌舞伎俳優・尾上松也が専門家と共に歴史の真相に迫ります。
古地図案内人:和根崎剛(上田市教育委員会)、平山優(歴史学者)