第42回 策謀と裏切りの『関ヶ原』勝てた西軍 総崩れの裏側
①家康、部屋にこもる「空白の1カ月」
②小早川秀秋の裏切りは見破られていた
③「鶴翼の陣」崩壊の真実
天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」。徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とする西軍、あわせて16万もの兵が関ヶ原に集結しました。
「鶴翼の陣」により圧倒的に有利な布陣であった西軍。しかし、西軍は総崩れの末に大敗を喫してしまいます。それをひも解くカギは、家康の空白の1カ月にありました。
合戦を控えた家康が、部屋にこもって練り続けた策謀とは。
家康の策謀により、東軍に寝返った小早川秀秋。しかし、三成の盟友・大谷吉継は、この裏切りを予想しており、対処できると踏んでいました。
なぜ、その戦略は破たんし、勝てたはずの西軍は敗北したのでしょうか。
歌舞伎俳優・尾上松也が古地図を片手に歴史の謎に迫ります
古地図案内人:草野道雄(関ヶ原町歴史民俗資料館)、三和敏郎(せきがはら史跡ガイド)