第30回  倉敷~美しい町並みを残した人たち

倉敷~美しい町並みを残した人たち 第30回

①町を作り守った3人の「キーマン」 
②天領に成り得た本当の理由とは
③なぜ戦火に見舞われなかったのか

運河や白壁の蔵など、江戸時代の風情溢れる美しい景観が残る岡山県倉敷市。この場所に集落が生まれたのは室町時代の後期とされ、かつては一面が海でした。本格的に干拓開発が進められたのは戦国時代。豊臣秀吉に仕えた五大老のひとり、宇喜多秀家は、毛利に対する西の守りの前線として備中を考え、家臣である岡利勝が20町余りの堤防を作り潮止め工事を行い東部を干拓しました。
しかし、宇喜多による備中支配は関ヶ原の戦いで終焉を迎えます。その後、この地は江戸から派遣された奉行が治めることになりました。その代表的な人物が、小堀遠州。小堀によって、今も残る美観地区の基となる事業が盛んになっていきます。
のちに幕府直轄領いわゆる「天領」となる倉敷がいかに重要な場所だったのか。そして、なぜ戦火に見舞われることもなく現在まで美しい町並みを残すことができたのか。歌舞伎俳優・尾上松也、尾上右近が古地図を片手に謎をひも解きます。

古地図案内人 山本太郎(倉敷市歴史資料整備室)