第9回 忠臣蔵の真実 赤穂浪士の足跡を追う
12月14日は、赤穂浪士による吉良邸討入りの日。「忠臣蔵」で知られるこの事件には、歌舞伎やドラマで描かれない真実がありました。自らも赤穂浪士の一人を演じた経験を持つ、歌舞伎俳優・尾上松也が古地図を片手に謎を紐解きます。
約300年前の元禄14年に起きた討ち入り事件は、主君である浅野内匠頭の無念を晴らそうと赤穂藩の浪士、いわゆる四十七士が吉良邸に押し入り吉良上野介を討ち果たしたものでした。「忠臣蔵」は、この討ち入りを脚色して作られた演目。心に残る名シーンには、歴史の中で隠された様々な秘密があったのです。「赤穂浪士たちは両国橋は渡っていなかった」「おそろいの衣装は着ていなかった」。「忠臣蔵」で赤穂事件の真実を描くことができなかった理由とは。
赤穂浪士たちは浅野内匠頭が切腹した3月14日に討入りを企てていました。しかし、実際に討入りを行ったのは12月14日。なぜ討入りの日が早まったのでしょうか。大石内蔵助が遺した決算書からは、大石の性格と、討入り決行の真実を読み解くことができます。さらに、切腹の地・泉岳寺にある48の墓の謎にも迫ります。
古地図案内人:跡部蛮(歴史作家)