第3回  加藤清正&真田幸村 天才!乱世の城づくり

戦国武将・加藤清正と真田幸村。二人の足跡に迫る。

一人目は戦国の世に豊臣秀吉の天下を確実にする戦いぶりを見せた加藤清正。長烏帽子の兜がトレードマーク。槍一本で虎退治をしたという伝説を残すなど、勇猛な戦国武将として知られ、清正が建てた熊本城は、難攻不落、日本の三名城の一つに数えられる。27才で、肥後熊本に入った清正は、亡くなるまでの23年間で、武将としてだけではなく、民衆から「神様」と慕われる領主となった。激しい戦国の世を生き抜きながら、民の生活の向上をめざした名領主は、勇猛な武将と慈悲深い治政者の2つ顔だけでなく、築城の名手でもあった。天下の名城と謳われる「熊本城」や清正を祀る「加藤神社」、そして甲冑を身に付けたまま石棺の中で眠る「本妙寺」などを辿り、なぜ彼は肥後熊本の人々に愛されたのか、加藤清正の知られざる素顔に迫る!

二人目は真田幸村。戦国最後の大戦「大坂の陣」。その前哨戦、「大坂冬の陣」において豊臣方の将・真田幸村は劣勢が叫ばれる中「真田丸」を築き、天下人・徳川家康を寄せ付けず、ついには大阪城を守り切った。天下の軍を一手に引き受けても落ちなかった真田丸とはどの様なものだったのか?そこには真田家歴代の知恵と幸村が作り出した最新兵器の存在があった。そして、幸村が後世「日本一の兵」と言われるきっかけとなった「大坂夏の陣」。家康の本陣を切り崩すこと数回。鬼人の働きをしたという幸村。男をそこまで奮い立たせたものとは何だったのか?幸村直系の子孫がその知られざる心情を語る。