第33回  腐敗と格差への反逆「大塩平八郎の乱」

腐敗と格差への反逆「大塩平八郎の乱」 第33回

①役人・大塩が幕府にはむかった理由
②なぜ自らの豪邸に火を放ったのか
③事件後の逃亡...歴史を変える新事実

1837年、大塩平八郎が大阪で起こした「大塩平八郎の乱」。
町の5分の1を焼く被害に見舞われたこの乱は、役人だった大塩が幕府に反旗を翻して決起したことで歴史的にも注目されている事件です。この乱が起こったきっかけには、江戸とは違った大阪の町の仕組みがあったとも言われています。
人口の半分ほどの武士がいた江戸に対して、大阪の武士の数は人口の2パーセントほど。商人により発展させられ経済の中心となった町では、「つけとどけ」と呼ばれる賄賂も横行し、商人が実権を握っていると言っても過言ではありませんでした。そんな中で起こったのが、天保の大飢饉。全国で米が不足し、大阪でも多くの人々が飢餓に苦しむ中、商人たちは米の値段を釣り上げて私腹を肥やし続けます。それに怒った大塩平八郎がとった行動とは。そして、事件後の逃亡にまつわる歴史を変える新事実とは。
歌舞伎俳優・尾上松也と尾上右近が古地図を片手に謎をひも解きます。

古地図案内人 薮田貫(関西大学名誉教授)