第26回  真田家 知謀の系譜と家族の結束

真田家 知謀の系譜と家族の結束 第26回

①「信玄の目」真田昌幸の正体とは
②「究極の処世術」その原点は
③ドラマに描かれない真田家の真実

幸村の名でも知られる真田信繁は、大坂冬の陣で真田丸を築き、大坂夏の陣では徳川家康を切腹寸前まで追い詰め、「日本一の兵」と評されました。
しかし、なぜ信濃の小さな領主だった一族がこれほどまでに後世に名を残すことができたのでしょうか。諸大名に翻弄されながらも、戦国の世をしたたかに生き抜いた真田一族。そこには武田信玄に「両眼のごとき者」と評され、「表裏比興の者」とも言われる信繁の父・昌幸の天才的な戦術と処世術がありました。
上田城は、昌幸が家康の力を借りて築き上げた城。しかし築城すると、昌幸は家康をあっさり裏切ります。怒った家康は上田城に侵攻、第一次上田合戦が始まりますが、昌幸は見事な戦術で徳川軍を撃退します。その戦略的能力は、真田一族の初代・幸隆から受け継がれたものでした。
ドラマでは描かれない歴史の裏側、そして信繁(幸村)の家族の本当の姿を、歌舞伎俳優・尾上松也が古地図を片手にひも解きます。

古地図案内人:和根崎剛(上田市教育委員会)